脱!社畜ブロガー雲藤テルオのプロフィール

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こんにちは。社畜生活に時間を奪われている中、わざわざ非社畜の僕のプロフィールに興味をもっていただきありがとうございます。
 
パワハラで適応障害となり社畜を卒業し、現在は密かに社畜潜入ライターとしても活動中の「見た目は社畜。頭脳は非社畜。」の名探偵 雲藤 テルオ(@undoteruo)です。
 
 
みなさんと同じように社畜教育を真面目に学んだにも関わらず、僕がどのような道を辿り社畜の檻から逃げ出すことになったのか。
 
みなさまの貴重な社畜時間をいただきまして、僕の脱!社畜人生をお楽しみくださいヽ(^。^)ノ
 

脱!社畜は父親譲りだった

 

僕は福島県は「湯本」という街で生まれました。その名の通り温泉街です。

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「スパリゾートハワイアンズがある所」と言えばわかりやすいでしょうか。
 
profile-2-8右足の包帯は、公園でアメリカンドックの串が指の間に刺さり怪我をしたときのもの。
 
生まれた頃は新築一戸建で暮らしていましたが、父が会社を辞め、それでたぶんお金が必要だったのか、僕が小学2年生くらいの時に家を売り引っ越しました。
 
profile-2-9ボロい長屋でした。
 
両親はその後僕が小学5年生の時に離婚し、僕は母に引き取られるんですが、離婚理由はいろいろあったんだと思いますが、その理由の一つには父の「収入の不安定さ」がありました。
 
 
 
結婚当時の父は会社勤めをしていたようですが、僕がもの心つく頃には既に父は「ばくだん」と呼ばれるお菓子を軽トラで作りながら売り歩く仕事をしていました。
 
「ばくだん」というのは、米を膨らまして砂糖を絡めたお菓子です。
 
軽トラに積んだ専用の機械で膨らませるんですが、その完成するときに出る「ボンッ!」という爆弾が爆発するような音が特徴的なので「ばくだん」と言うそうです。
 
ポップコーンの米版みたいな感じです。
 
profile-2-11スーパーなどでは一般的にこんな感じで売られているお菓子です。
 
「お父さん仕事何してるの?」とよく友達の親とかに聞かれたりしましたが、「ばくだん屋です」と言うのは恥ずかしく笑ってごまかしてました。いちいち「ばくだん」というものの説明をしなくてはいけなくなるので(笑)、面倒というのもありましたし。
 
 
 
焼きいも屋さんみたいに車で売り歩くんですが、勿論そんなに儲かる仕事ではありません。
 
そのため父は、親戚の人と今度は「ラーメン屋をやる」と言い出し「ばくだん」もそっちのけで毎日土地探しをするようになりました。
 
profile-2-10「ラーメン屋」とは一般的にこういう感じのお店のことです。
 
しかしそれも実現には至らず・・・。
 
 
 
そういう収入の不安定さも離婚理由の一つだったのだと思います。
 
僕も今では「ばくだん屋」ではありませんが会社勤めをせずにフリーランスになったので、今思えば僕の社畜にはなりきれない社会不適合者のDNAは父親譲りなのかもしれません。
 

社畜は義務教育で学ぶ

 
日本人の社畜精神は実は、義務教育で学んでいます。
 
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社畜の特徴の一つに「強い者には逆らうな」というものがありますが、中学の体育の授業にそれが色濃く出ていたエピソードを今でもよく覚えています。
 
 
 
体育でサッカーの授業でした。
 
試合中にパスミスか何かでボールが勢いよく外へ飛び出していこうとしていて、みんなが「あれは追いかけても無理だ確実にラインを割る」と思いました。
 
誰もがどう見たって追いつけるはずのないボールのスピードでした
 
パスを受けるはずだった具志堅君(仮名)も諦めてボールを追うのをやめました。
 
そしたら体格の良い柔道部顧問でもある先生が怒鳴りました。
 
「なにボーッとしてんだバカヤロー!追え!走れ!」
 
具志堅君(仮名)は追いかけるもボールには追いつけず…。そもそも最初から追いつけるはずもないボールでしたが。
 
その後具志堅君(仮名)はみんなの前で先生に「なんで走らないんだ!!」と責められて、ついには泣いてしまいました。
 
僕は具志堅君(仮名)と同じ目には合いたくないので必死にボールを追う“フリ”をし続けました。
 
 
 
これで僕が学んだのは「諦めないことの大切さ」なんかではなく、「強い者には逆らっちゃいけないんだ」ということでした。
 
強い者が望んでいることは、たとえ不可能なことでも、少なくとも頑張っているフリは無駄にし続けることが大切なんだと、そう最後の義務教育で学びました。
 
 
 
今思えば、「頑張る“フリ”をする」と考えていた僕はこの頃から既に社畜にはなりきれない素質を持っていたのだと思います。
 
他のみんなはたぶん、本当に「ボールに追いつこう!」と頑張っていたのでしょう。
 

社畜は高校で完成する

 
僕は県内の工業高校へ進学しました。その高校の中でも一番楽に入れると言われていた「化学科」を選びました。
 
クラスの8割の生徒は授業中は寝ていて、その内の半分以上はヤンキー、という学校です。
 
数学の授業中に先生が
「この問題、試験に出ますよ。もう、ぶっちゃけて言うけど…これ、このまま出ます!数字も変えません。この問題こ·の·ま·ん·ま出ます!これに正解すれば赤点は回避できますからね!!」
と言われているにも関わらず0点続出。答案用紙には名前さえ書きません。
 
そんな学校でした。
 
 
 
ほとんどの卒業生が就職をする中、僕は東京への憧れのため東京の専門学校へ進学することにしました
 
今はどうか知りませんが、僕がその学校に在席していた頃は、卒業する全生徒の就職先と進学先の一覧が生徒に配られました。
 
クラスの40人中37人くらいは就職です。
 

その就職先を見ていると、

田中:○○化学工業
山田:△△建設

佐藤:✕✕開発…

というような立派そうな工場系の会社名が並びます。
 
僕がこれを見ていて思ったのが、「おい田中よ、佐藤よ、お前ら本当にその会社に就職したいのか?…」でした。
 
授業中は毎日寝ていて、化学なんかに全く興味もなかった田中や佐藤が、一体なぜその会社に就職するのか。
 
僕にはそれが、全くの謎でした。
 
 
 
高校を卒業したら、学校から紹介された、先生から勧められた、そういう自分でも入れそうな会社へ就職する。
 
 
 
今思えばそれが、日本の12年間の社畜教育が実を結んだ瞬間でした。
 

社畜を先延ばしに、東京へ

 
僕は東京の専門学校へ進学しました。
 
上京後すぐに始めた飲食店のアルバイトが楽しくて学校にもほとんど行かず、1年で退学してしまいました。
 
元々その学校で学びたかったことなどは特になく、単に、東京へ行くため親や先生を納得させる方法として専門学校進学を選んだに過ぎなかったので、学校に興味なんてありませんでした。
 
profile-2-520歳の頃。
 
僕はこのバイトで社会保険に入り、準社員的立場になり、社員に社畜の何たるかを学びながら立派なバイトリーダーになっていきます。
 
profile-2-4バイト仲間の“社畜の卵”と一緒に。

就職で立派な社畜の仲間入り

 
高校卒業後すぐ社畜となった同級生からだいぶ遅れをとりましたが、僕は29歳で学校給食調理員という仕事へ就職をしました。
 
要するに「給食のおじさん」ですね。
 
profile-2-7社畜中に撮った一枚(わりと最近の写真で恥ずかしいので顔は隠しときます)
 
僕はバイトの飲食店経験しかなかったので調理師免許を取り、それを活かして給食のおじさんになりました。
 
これでやっと僕も立派な社畜の道を歩むことになります。
 
たった4年半でしたが…。
 

自由人の女性と結婚

 
僕が正式な社畜になることを決めたのは、もう30手前ということもあり「もうそろそろ社畜にならなきゃ!」という焦りもあったからですが、結婚したい女性ができたというのも理由の一つでした。
 
結婚相手の両親へ挨拶に行こうにも、社畜じゃない男に大切な娘を嫁に出す親はいませんからね。
 
 
 
ですが僕の妻となる女性は、かなりの自由人でした。
 
profile-2-2妻との旅行で撮った一枚。なかなか良い画が撮れました(^^)
 
妻は就職もせず、高校時代にハマったというダンスに全てを捧げている“普通じゃない”人でした。
 
 
 
僕は後に会社を辞めることになるわけですが、今思えば、たぶんこの人と結婚していなければそう簡単に社畜の檻から逃げ出す決心ができなかったと思います。
 
なのでつまり、妻には感謝しかありません。
 
この人と結婚したことが、これまでの人生の中で自分で自分を褒められる唯一のことです。
 
 
よくやったなテルオ!(๑•̀ㅂ•́)و✧
 
 
僕の父の失敗は、“普通の人”と結婚してしまったことだと思います。でもそのおかげで僕が生まれたので、まぁ、感謝はしています。
 

社畜の檻からの脱出

 
僕はせっかく入った社畜の檻から4年半で逃げ出すことになりました。
 
それは、上司からパワハラを受けて適応障害になったからです。
 
 
 
僕が一般社員から副責任者に昇格して新たな現場に異動した数ヶ月後の出来事でした。
 
人によっては「それくらいのことで?」と思われることかもしれませんが、僕にとっては事件であり、身の危険さえ感じるほどでした。
 
もうその上司とは一緒に働きたくなくて数日会社を休みました。
 
その後社長と面談することになり本社に呼ばれました。
 
社長に今の現場にそのまま復帰するよう言われたので僕は正直に「身の危険を感じるので嫌です」と言うと、社長は笑っていました。「そりゃテルオくん、考え過ぎだよ」って。
 
自分の中の思いはどうあれ、身の危険を訴えている人を「笑う」という反応は、ありえない対応でしょう。
 
 
 
社長からは「休むなら病院へ行って診断書をもらってこい」と言われたので、仕方なく病院へ行くと「適応障害」という診断でした。
 
それをまた社長室で報告しました。社長にはこう言われました。
 
 
「ウチにも何人か鬱病とか患ってる社員がいるけど、みんな病院通いながら薬とか飲んで頑張ってるんだよ。テルオ君も薬とか飲んで頑張ってみなよ」
 
 
この瞬間、リトルテルオが僕に言いました。「もう辞めよう」と。
 
べつに今すぐというわけではなく、この時は7月だったので、来年の3月には辞められるように準備しておこうと思ったんです。
 
 
 
薬を飲んでまで働かねばならない仕事なんてこの世にあるはずがない。
 
 
 
そう思ったからです。
 
適応障害の場合は「原因から離れれば6ヶ月以内に治るよ」と病院の先生が言っていました。
 
なので、先生は「薬を処方することもできるから必要だったら言ってね」とも言っていましたが、薬を飲む必要性を僕は感じなかったんです。
 
 
 
そのパワハラ上司には注意をしただけで責任者としてそのまま職務続行とし、僕には薬を飲んで頑張れと言う。そんな会社の対応にもガッカリしました。
 
まぁ、会社としては僕のような社員にはそういう対応しかなかったんだと思いますが、これまで何度も事件を起こしているパワハラ社員に対する対応としては「古いな」と思います。
 
今思うと確か、社長室の社長の席には“社畜長”と書かれていたような気がします。
 
 
 
その後僕は現場を異動させてもらうことで事件は落ち着くはずでした。もうその上司とは一緒に働かなくて済むので何も心配する必要はありません。
 
「原因から離れれば6ヶ月以内に治る」と病院の先生も言ってたし。
 
しかもその異動先の現場というのは、以前にお世話になっていた現場でした。つまり「前の現場に戻る」という形です。
 
歳が近い社員が多くいたので僕も楽しく仕事をしていた現場です。
 
今でも同じメンツが揃うその現場への異動は、僕にとっては最高の環境に思えました。もう何の心配もないハズでした。
 
会社を辞めるという決心は変わりませんでしたが「来年の3月までは頑張れそうだ!」と思っていました。
 
 
 
しかし、異動した瞬間から、他人にも自分にも、変な違和感を感じる毎日でした。
 
 
 
異動先の上司からは「もう異動したんだから大丈夫でしょ?」と言われました。
 
同僚からは「この前佐藤さんから全部聞いたよ。テルオさんも部長にチクるのはよくなかったよね」と言われました。
 
 
 
佐藤さんて、誰?…
 
何でオレが部長に話したの知ってるの?…
 
っていうか、部長に相談したのがなぜいけないと言うのか…
 
 
 
ある時、全社員が集まる研修会で僕が会場の席に1人座っていると、隣の席に座ったどこの現場の人間かも知らない2人がこんな話をしていました。
 
「○○小学校の副責任者やらかしたんだってね!なんか知ってる?
「なんか、喧嘩したみたいですよ!」
「その副責任者がキレたって!『殴った』って聞きましたよ!」
「どっちが悪いのよ?」
「なんかそいつは来なくなっちゃったみたいだから、そっちが悪いんでしょうよ!」
 
 
 
喧嘩?…
 
キレた?…
 
殴った?…
 
誰のこと?え?、オレ!?…
 
 
 
身に覚えのないことばかりなので最初誰のことを話しているのかわかりませんでしたが、僕の小学校のことなので、僕のことだとすぐ気づきました。
 
僕の隣で、僕の知らない2人が、僕のことを話題にし、勝手な話を展開していました。
 
エゴサーチしてる芸能人ってきっとこんな感じなんだろうな…と思って少し笑えてきました。
 
 
 
どうやら、会社全体で僕のことが結構な噂になっているようだと知りました。
 
それからはこの会社組織そのものが気持ち悪くて仕方がなくなりました。
 
盛大に尾びれがくっついて噂が回るその構造に、嫌気がさしはじめていました。
 
 
 
でもいいんだ…
来年の3月には辞めるんだから(¯―¯)
 
 
 
異動先の現場でも僕は何故かミスを繰り返しました。
 
以前では考えられないようなミスをし、不安とイライラが交互に押し寄せる。そんな状況にどんどん不安になっていきました。
 
景色は以前とは何も変わっていないはずなのに、僕の目に見える景色は以前とは全然違って見えました。
 
異動しても、僕の精神不安定さは治らなかったのです。
 
 
 
もうダメかもしれない…
 
 
 
僕はそう思うようになりました。
 
「もう仕事に行きたくない」
 
そう妻に話すと、妻にはこう言われました。
 
「嫌なら辞めなよ。仕事なんて生活の手段にすぎないんだからさ。明日辞めてきなね。
 
 
 
仕事なんて生活の手段にすぎない
 
 
 
この妻の言葉により、僕はすぐに会社を辞めることに決めました。
 
もう翌日からは出勤せず、有給を消化し、同僚の社員にはグループLINEで挨拶を済ませてグループ脱退しパートさんや学校の栄養士や校長先生にも何の挨拶もしないまま、それで終わりにしました。
 
以前の僕はこういう挨拶はちゃんとしなきゃいけないと思っていた人間でしたが、出勤しようとすると心臓バクバクで吐き気がするので、もう申し訳ないが他人のことは忘れて自分のことだけを最優先にすることに決めたんです。
 
 
 
最近聞くところによると、そのパワハラ上司はその後、責任者を降ろされ所属先も決まらないままその日しのぎの臨時のヘルプ要員として人出の足りない各現場を回っているらしいといいます。
 
 
また何かやらかしたようです。
 
ケガ人が出てなければいいが。
 
 
どちらの人間を大切にしなければいけなかったのか、会社はその後気づき反省しているといいんですが。まぁ、無理でしょう。
 

社畜の檻から飛び出し、フリーランスへ

 
この事件とは関係なく、僕は以前から自分一人で働けないかな…」とか、漠然と考えることがありました。
 
なので会社を辞めたのをきっかけに、それをここで実践することにしました。
 
他の会社へ転職をするのではなく、独立です。
 
社畜の檻から飛び出し、もう企業に属した労働はやめることにしました。
 
ブロガーとしての、独立です。
 
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社畜を客観的に観察してみると・・・

 
上京してからすぐに始めたアルバイトですが、実は今でも続けています。
 
給食の仕事は土日祝日は勿論、夏休み冬休み春休みも児童生徒と同じようにガッツリ休みがあり、僕の会社では副業も認められていたので週1でバイトを続けていました。
 

それに加え独立した今は、体を動かさずパソコンばかりやってる日々だったので1年で15キロも太る(笑)という病的な太り方をしてしまったため、健康のために毎日3時間のアルバイトもはじめました。

ダイエット関連の内容は「男の健康・ダイエット」カテゴリー内で更新中です。
 
 
 
就職前のアルバイト時代は、社畜というものが人生の中で当たり前のもので、僕の中ではある意味“憧れ”のようなものでした。
 
しかし、いざ社畜の檻から飛び出してみると、会社で働く人間が、全く違ったモノに見えるようになりました。
 
 
 
なんでこの人、1日14時間も働くのか…
 
なんでこの人、効率的に仕事をしようとしないのか…
 
なんでこの人、自分では何も考えないのか…
 
なんでこの人、何も決定権を持たないのか…
 
なんでこの人、休憩中は寝るだけなのか…
 
なんでこの人、いつもイライラしてるのか…
 
なんでこの人、好きでもない仕事をしてるのか…
 
なんでコイツ、社畜なんてやってるの?
 
 
 
会社を辞め、今後社畜になることもやめた僕が社畜を客観的に見てみるとまるで仕事のために生きているようだ。この人達こんな人生で楽しいのかな?」こんなふうに感じるようになりました。
 
 
 
僕は社畜を卒業し独立したので、全てのことは自分で考え、決定権は全て自分にあります。
 
しかし社畜はそうではありません。
 
やるべきことは会社から指示があるので自分では何も考える必要がなく、決定権は会社のマニュアルの中に存在するので、責任の生ずる決定は自分で下す必要がないのです。
 
独立したての当初はそういう思考停止している人間に対して腹が立ち、なんとか「導こう」なんて意気込んでいましたが、それは自己満足だと気づきました。
 
誰も「社畜から逃れたい」なんて思ってもいないことに気づいたのです。僕が社畜に憧れていたように、みんなにとってはそれが当たり前のことなんです。
 
なので僕は、言っても仕方のない人に何かを言うのはやめにし、社畜を観察·記録し、そこからもまた何かを学ぶことにしました。
 
 
あなたのように、社畜の有害さに気づき、脱出する方法を探し、検索する人のために。
 

社畜の定義

 
社畜..社畜..とずっと言ってますが、僕が言う「社畜」というのは、社会経験のない最近の若いブロガーが発信する「会社員は全員社畜だ!」というのとは違います。
 
べつに会社員が全員社畜とは思っていませんし、むしろ僕は会社員を尊敬しています。
 
僕がやろうとしてもできなかった会社員という生き方ができる人を、僕は尊敬しているんです。
 
 
僕が言う「社畜」とは、こういう人のことです。
  • 思考が停止している人。
  • 自分で決定権を持たない人。
  • 好きじゃない仕事をしている人
「社畜」というものを僕はこう定義しています。
 
 
 
自分で考え何かを生み出そうとしない人。
 
自分の会社の「理念」「目的」「戦略」等を知らない人。
 
目の前の作業を一生懸命ただがむしゃらに気合でこなし「オレ頑張ってる!」と満足する人。
 
自分で決定できない人。
 
無責任に決定を下す人。
 
「好きなことを仕事にできるのは選ばれた一部の人間だけだ」と考えてる人。
 
「仕事は嫌でも3年は続けるものだ」と考えてる人。
 
「仕事は辛いもの」が当たり前と考えてる人。
 
 
 
ちなみに、この社畜要素が全て詰まっている人間の行動としてわかりやすいの「電車の中でスマホゲームしてるサラリーマン」だと僕は見ています。
 

さいごに

 
と、いうことで、
 
僕はこうして社畜を卒業しフリーランスの道を歩むことになりました。
 
 
 
「脱!社畜」というのは、僕のようにただ会社を辞めることだけが社畜から抜け出す方法というわけでもありません。
 
まず自分が社畜であることに気づくこと、そして社畜を抜け出す方法を考えること。
 
この2点の思考を持つだけで、会社内での自分の社畜の割合はだいぶ減ります。
 
 
よく自らを「オレ社畜だからさぁ〜ヽ(^。^)」とネタのように言ってる人がいますが、アレは社畜に気づきながら社畜を受け入れている社畜の完全体なる人間なので、こういう人は例外です。
 
 
 
当ブログではこういった「社畜から抜け出したい!」と考えている方へ、仕事の考え方や、会社内での決定権の持ち方など、ド肝を抜かれる社畜エピソードも交えて社畜の檻から抜け出す方法」をお伝えしていきます。
 
どうぞ当ブログ「もてもてあいしてる」をお楽しみください(^_^)/
 

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